いまさらながら「君の名は」2017年01月29日 21:04


君の名は

 社会現象に近いブームが去った今日になって新海誠監督の映画「君の名は」を鑑賞してきた。一言で言えば,見終わった後にすがすがしい気持ちを呼び起こす映画で,本作品が多くの人の共感を呼んだことに納得した。

 僕がこの作品に対して持っていた予備知識は「男の子と女の子の意識が入れ替わる」ということだけだった。だから,ストーリーは男女の感じ方や考え方の違いからくるドタバタを通して二人の絆が深まっていく,恋愛物語だろうと想像していた。しかし,話のメインストリームはそんな陳腐なものではなかった。良い意味で裏切られたことがうれしい。

 ところで,僕は新海誠監督の作品が好きで,たぶん全ての作品を見ている。どの作品も恋愛感情の裏に潜む切なさや哀しみが表現されていて,正直なところ諸手を挙げてハッピーエンドとは言い難いものばかりであった。だから「君の名は」のストーリーが終盤に差し掛かってからは,祈るような気持ちで展開を見守っていた。僕はメインキャラクターの二人に感情移入しまくっていたので,
「どうかこの二人に幸せな結末が用意されていますように!」
と願わずにはいられなかったのだ。

 「新海監督!今回ばかりはお願いします!」

 ネタバレになるので詳細は書かない。

レンタルコミックス最近の当たり!2016年09月04日 18:28

 前回,ツタヤのレンタルコミックスの話をした。1巻あたりの巻数が多い人気作が,必ずしも自分に取っての人気作ではない話。年齢,性別,経験によって興味関心や好みの有り様は人それぞれになることを思えば,大多数の支持と僕の嗜好が若干ずれることも当然ある。

 一方,同じ理由で,1巻につき1冊しか並べていない扱いの地味な作品が,自分の好みにぴったりはまることもある。最近レンタルしたコミックスでは「怪談イズデッド」がそれだった。

4巻表紙

 この本はツタヤの新刊コーナーに1冊だけ置いてあった。多くの本は背表紙だけを見せて書架に収まっているが,これは表表紙をこちらへ向けて置いてあった。内容を紹介するポップまで付いている。それからすると1冊しかない本の中では,店で押している本だったようだ。

 表紙の絵の勢いが気になり手に取った。パラパラと数ページ読んでみる。
 「!...これは!」
 数ページの飛ばし読みで,すぐに分かった。キャラクターの会話,動き,表情が生き生きと迫ってくる。これはまちがいなく面白い。大当たりの予感がした。

 手にしたものは4巻だった。早速1〜3巻を探すことにする。ツタヤでは,少年漫画,青年漫画,少女漫画のジャンルごとに,題名の50音順で並んでいる。最初,少年漫画コーナーの「か行」の場所を探したがなかった。念のためにコーナー全体を見回るも,やっぱりない。なぜだろうと思って本の最終ページにある出版情報を見ると,なんと青年漫画コミックスだった。

 やれやれと思いながら青年漫画コーナーに行って,また「か行」の場所を探す。しかし,ここでも見つからない。もしかして少女漫画のコーナーなのかと思ったが,表紙を見て「いやいやそれはない」と思い直す。とすると,店では4巻だけ仕入れて他の巻は仕入れていないのか?「いや,常識的に考えてそれもない。僕が店長だったら,そんなことは絶対にありえない」と考えて少し悩む。仕方がないので,1〜3巻は必ずどこかにあると信じ,青年マンガコーナーをしらみつぶしに回ることにした。

 すると,あった。青年マンガコーナーの「か行」からずれたところにあった。各巻1冊ずつ。幸いなことに,誰も借りることなく全巻置いてあった。

 この作品は,トイレの花子さん,てけてけ,動く人体模型など,学校の怪談には必ず出てくるだろう怪異たちにスポットを当てたギャグ漫画である。怪異たちの存在意義は,子供たちを恐れさせ,「学校の不思議」として不気味な噂を広めることだ。そのために,怪異たちは定期的に集まって話し合い,様々な対策を講じているのだが...。

 出てくる怪異たちは,どれも個性的でキャラが立っている。タバコ呑みの不良娘だけど一番の常識人な花子さん。グループのリーダーで頼れるイケメンである一方,根っからスケベなてけてけ。子供たちから見られることに喜びを感じる変態でエロな人体模型。スクール水着を着用する巨乳で天然な萌えキャラのプールの霊などなど。

 物語の中心は怪異たちの笑える悲哀と下ネタである。キャラの魅力と勢いでグイグイ引っ張っていく。起承転結がはっきりした構成と落ちのハマり方が心地よい。時々挟まれる女子キャラの恋ネタ萌えネタが,またいいスパイスだ。

 現在,最も新刊が待ち遠しいコミックスだ。全く知らなかった面白い本にこうして出会えると嬉しくなる。ギャグ漫画好きの方には絶対お勧め。

レンタルコミックス2016年09月04日 01:20

 週末。幸いにも,尻に火がつくような仕事がないので,のんびりとした時間を過ごしたい。ツタヤで漫画を借りることにする。

 近所のツタヤは,コミックス置き場に結構なスペースを割いている。一昔前の名作から最近映像化された話題の作品まで,バランスよく品揃えをしていると思う。そのため,以前は買い揃えて漫画を読んでいたものだが,現在はツタヤを書庫と考えて,レンタルで済ますようになった。僕は,コミックスをコレクションして愛でる趣味はないし,購入した時の費用と置き場所の負担も大きい。そもそも何度も繰り返して読むものではないので,読みたくなったらレンタルする今のスタイルで十分満足している。

 書架に並ぶたくさんのコミックスの背表紙を眺めながら,作品を探す時間が面白い。子供の頃に読んだ懐かしの本を見つけて当時の感動を思い出したり,題名から内容を想像して好みに合いそうな本を物色したりすることはワクワクするものだ。

 人気の本は,たくさんの借り手の要望に応えるために,同じ巻を数冊置いている。同巻が5冊も並んでいればかなりの人気と考えていいだろう。未知の本を選ぶとき,この同巻数は選択のための重要な要素になる。「人気があるのだったら,きっと面白いだろう」と。

 さて,僕が行くツタヤでは,映像化されたコミックスだけを集めたコーナーがある。話題性があるだけに,ほとんどのコミックスが同じ巻を複数並べている。その数多のコミックスの中にすごい冊数を並べたコミックスがあった。

1巻表紙

 「ORANGE」。この夏アニメになった(らしい)少女漫画だ。

 5巻で完結する短い作品だが,最終巻となる5巻目の冊数がなんと17冊ある。もちろん1〜4巻も1巻につき十数冊並んでいる。このツタヤの中では1巻あたりの冊数としては最高だ。もう圧巻である。これだけの品揃えを誇る作品ならば面白いに違いない。早速全巻をレンタルし,期待に胸を高鳴らせて読み始めた。

 これは一言で言うと高校生の友情と恋愛を描いた漫画である。新学期。主人公の女の子のところに10年後の自分から手紙が届く。その手紙には,これからの高校生活で起きることが日記形式で書いてあった。誰と出会い,どんな出来事が起こるか。そして,その時どんな行動を取ってほしいか...。10年後に後悔しないための未来からのアドバイス。最初は手紙のことなど信用していなかった女の子だが,次々と手紙に書かれた通りのことが起こって,それが本物だと気づく。アドバイスは,やがて好きになる男の子に関するものだった。《10年後,男の子はここにいない。その男の子を支えてほしい》アドバイスに支えられ,ときに翻弄されながら過ごす友人たちとの貴重な時間。そして,運命の日がやってくる...。

 うん。確かに面白い作品だった。ある時は嬉しくなり,ある時は辛い気持ちになり,登場人物に寄り添い共感しながら読むことができた。女の子を支える友人たちの姿に,清々しい気持ちで満たされることもあった。

 でも.....。この店で同巻最高記録の17冊を叩き出すような名作かと言われれば,僕の中ではちょっと違う。恋愛漫画としても時間を扱う学園SF漫画としても,極めて普通の面白さだった。物語の中で個々のキャラクターに与えられた役割や個性,また,ストーリー展開やテーマに,この作品ならではと言えるものは感じない。しかし,新鮮味はなくても,安心して読める面白さはある。こうしたところが漫画家の腕なのだろうと思う。

 と,全巻を読み終わってちょっと首を傾げた後に,僕ははたと気づいた。僕はおっさんだった。気持ちはいつまでも若いつもりでいたけれど,よくよく振り返ればまごう事なきおっさんなのだ。このコミックスは絵柄から素材からテーマまで中高生女子をメインターゲットとして書かれたものだろう。もう少し広く捉えれば,10代の少年少女が主な対象になるだろう。

 1巻17冊もの人気を誇るこの作品の魅力を味わうために必要な感性は,すでに僕の中に無くなってしまったのだ。そう思うと,ちょっと寂しい気分になる・・・。


P.S.
 と言いながら,名作は読み手の年代を問わないとも思う。この半年で一番面白かったコミックスは「四月は君の嘘」。ピアノとヴァイオリンが繋ぐ男の子と女の子の青春物語だ。読み進むごとに,これほど喜びや苦しみやせつなさに気持ちが翻弄された作品は,近年なかった。もしも未読の人がいたら,ぜひ読んでほしい。

1巻表紙

シン・ゴジラに震える!2016年08月12日 02:50


シン・ゴジラ

 映画「シン・ゴジラ」を見た。

 映画館に足を運んだのは,3年ぶりのこと。宮崎駿監督のアニメ「風立ちぬ」以来だ。なぜこれほどご無沙汰だったかというと,テレビや雑誌の紹介で興味をそそられる作品があっても,映画館へ出かけた上に2時間も椅子に張り付けられることを想像すると,高まった気持ちも大抵しおれてしまうからだ。結果,見る映画のほとんどをレンタルDVDで済ますことになるのである。つまりは,結構なめんどくさがりなのだ。

 さて,そんな出不精がゴジラの新作に足を運んだ理由は二つある。

 一つ目は,よく見ているまとめサイトでちょくちょく話題にのぼり,興味が高まったからだ。ほぼ記事タイトルしか見ないのだが,「思った以上にゴジラ」「予想以上に面白い!」など概ね高評価だった。実績のある作品だけに多くの根強いファンを持つコンテンツのリメイクで,これだけの評価を得ることは異例と言っていいだろう。

 二つ目は,脚本・総監督が庵野秀明さんだったからだ。彼の作ったアニメ「トップをねらえ」「エヴァンゲリオン」は,大いに楽しんだ。存在感のある世界を構築する力と,テンポよくグイグイと物語を引っ張っていくエンターテイメント性を僕は高く評価している。また,特撮怪獣オタクとしても有名であり,その彼が作るゴジラとなれば期待せざるをえない。

 そして,「シン・ゴジラ」を見た。心が震えた!

 まず,ゴジラに与えられた役割がいい。人のなすことなどほとんど意に介さない,触れれば障る圧倒的な負の存在。はっきりした意図や知性を見せない惨禍の化身としての振る舞いは,凄まじい恐怖と絶望を投げつけてくる。正直なところ、街を縦断して被害を拡大していくゴジラの登場シーンは,3.11の大震災を重ねて気持ちが不安定になった。
(映画館から逃げ出したくなるような気持ちを必死に深呼吸して乗り切ったのは,ここだけの秘密......ちょっとトラウマ......)

 次に,ゴジラに対峙する人々が,それぞれの立場を示す群像としてテンポよく描かれていた点がいい。ヒーローが状況を打開していくのではなく,現在ある法律,制度,組織,装備を利用して,多くの人々が英知を結集する様に胸が高鳴った。

 そういえば,ネット上では「エヴァンゲリオンっぽい」という声が囁かれていた。なるほど,物語の構成,画面の作り,ゴジラの演出などにている点が多かった。特に,幾重にも飛び交う情報を収集・解析して作戦を決定し,明確な命令系統で動く組織の描き方は,明らかに庵野テイストだ。

 没頭していたために,2時間はあっという間に過ぎ去った。エンドロールが流れる間も,ほとんどの人が音も立てずに座ったまま。ちょっとした放心状態だったのではないかと思う。我に帰ると,しばらく固まっていたためか腰が痛い。ほっと息を吐きながら「もう一度このまま見たいなぁ」と思った。

 ところで,これまでに僕が見たゴジラ作品は一つだけある。それは,1998年公開のエメリッヒ監督版ゴジラだ。このゴジラは派手だった。見た目は巨大イグアナ系爬虫類。ビルの谷間を駆け抜ける高い運動性能を備え,隠れて不意を突く狡猾さも持ち合わせていた。対する軍隊にはヒーローに相当する主役がいて,個別のロマンスなども盛り込んである。そんなところがハリウッド映画らしかった。物量と力技とヒーロー的活躍でゴジラを駆逐する。これはこれでエンタメとしての魅力にあふれ,僕は好きである。

 それに対して「シン・ゴジラ」は,ゴジラを駆逐する作戦を立案,遂行していく過程を集団のドラマとして丁寧に描いた。それぞれの立場でやるべきことを行い,最終的には組織として対処しようするところが日本らしさと言えるのかもしれない。そして,問題の解決に向けて力を結集する人々の姿に僕は強く惹かれるのだ。

涙腺が緩むシチュエーション(ネタバレ)2015年09月24日 07:20

 自分は人と比べて涙もろい人間だと思う。一緒にテレビ番組を見ているメンバーの中で,自分だけが涙目になっていることは,これまでにもよくあった。結構恥ずかしい瞬間のため,気づかれないようにする努力をいろいろと重ねてきた。
 そっと指で涙を拭うことは基本として,さりげなく人より前に出て顔が見られないようにしたり,目を大きく開いて涙をこぼさないようにしながら涙が乾くのを待ったり,飲みたくもない水を飲みに行って涙を拭いたりと,密かに手段を講じてきたものだ。

 そもそも,泣くことが好きなのだ。涙を流すことができるコンテンツを求めて積極的に関わろうとしている節がある。涙することで得られるカタルシスを味わいたいのではないかと思う。

 これまでに涙した数々の感動場面を思い返すと,自分にとってのツボが存在していることに思い当たる。それは,様々な物語で装いを変えながら繰り返される,人を感動させるための基本要素でもあると思う。

 以下は自分の「泣ける」シチュエーションである。念のために言っておくとこれらの要素が入っていれば必ず泣くというわけではなく,ストーリー展開の中で,これらの要素に共感・共鳴をさせる作者の構成力や演出が必須であることは言うまでもない。

1 思い入れのあるものが死ぬ
 これは,泣きの王道だろう。泣かせるためには一瞬で死んではいけない。死がそこにある状態で,エピソードを回想したり,本心を吐露したりすることを通して,聞き手を揺さぶる「何か」を残して死ぬ必要がある。

 もしも,死んだことから始まる場合は,第三者のていねいな回想によって,死するものの生き様や本心が描写されることが求められる。

 ここでいう「何か」は,2以降の感動要素を含んだもので「視聴者・読者」が共感していることがどうしても必要である。逆説的だが「デスノート」の主人公は,敗北のフラグが立ってから死ぬまでに多くの語りや回想があるが,死んでも泣くことはない。


2 かわいそう過ぎる
 これもストレートな泣きだろう。死ぬ場合もある。

 例えば,「火垂るの墓」。兄妹二人で力を合わせ,必死に生きようとしていた最中に訪れる妹の死。大切に守ってきた妹が死んでしまった後の兄の喪失感が,実感を持って迫ってくる。また、兄を慕い,共に生きようとした健気な妹の死は無条件に切ない。

 「フランダースの犬」のネロとパトラッシュの最後もこのタイプである。

 どちらの作品も死がやってくるが,かわいそうの中心は死ではない。「フランダースの犬」で言えば,落ち度のないネロが,町の人々の迫害を受け,行く場所もなく,一人教会で死ななくてはならないという理不尽さがかわいそうなのである。

 「1思い入れのあるものが死ぬ」の場合は,かわいそうである必要がなく,そこが1と2の大きな違いとなる。

3 大切なものを守る
 大切な何かを守ることに徹して行動するものにぐっとくる。「自己犠牲」「献身」「忠誠」という言葉がしっくりくるシチュエーションだ。互いの関係は,主従,上下,親子,恋人,友人,仲間等であることが一般的だが,必ずしも人間同士(または人のように振舞うもの)である必要もない。一方は動物であったりロボットであったりアイテムであってもかまわない。とにかく自分は二の次で対象を守るのである。守ることを目的に攻撃を行うこともある。
 例えば「天空の城ラピュタ」。シータの叫びで覚醒したロボット兵が,しゃにむにシータの元に参じて守ろうとするシーンは白眉だと思う。ロボット兵が艦船の砲撃を胸に浴びて破壊され,崩れ落ちながらも,なお両腕を伸ばしてシータを守ろうとする様は,清らかささえ感じさせる。これを書きながらまた涙ぐんだ。
 小説では,横山秀夫の「半落ち」が好きだ。主人公は何を守ろうとしているのか,何のために守ろうとするのかを探ることが物語の骨子になる。最後に明かされる真相には,深い慈しみを感じずにはいられない。

次回に続く…かもしれないが未定