本日のスイーツはかりんとう饅頭2017年03月11日 23:24

 僕は甘いものが好きで,最近は和菓子に目がない。ホワイトデーにお返しをしなくてはいけないこともあり,仕事合間のドライブを兼ねてお菓子屋さんに行った。そこでおいしそうな和菓子に出会った。

        「♪ ♪...」
        「!!」
        「♪!」
        「www」

 というわけで,かりんとう饅頭である。あんこの代わりにかりんとうが詰まった饅頭...ではなくて,饅頭の表面がかりんとうのように黒糖で固めてある。さっそく家に帰って食べてみたらこれがまたうまい!

 かりんとうと銘打ってはいるが,かりんとうほどかりかりに硬いわけではなく,歯ごたえはさくりと歯が通るしっとりクッキーのよう。牛乳や紅茶と一緒に食べるこれは,至福のおやつである。

 来週の休みの日には,僕と同じく甘党の田舎の母に食べさせてあげよう。きっと大好評に違いない。

いまさらながら「君の名は」2017年01月29日 21:04


君の名は

 社会現象に近いブームが去った今日になって新海誠監督の映画「君の名は」を鑑賞してきた。一言で言えば,見終わった後にすがすがしい気持ちを呼び起こす映画で,本作品が多くの人の共感を呼んだことに納得した。

 僕がこの作品に対して持っていた予備知識は「男の子と女の子の意識が入れ替わる」ということだけだった。だから,ストーリーは男女の感じ方や考え方の違いからくるドタバタを通して二人の絆が深まっていく,恋愛物語だろうと想像していた。しかし,話のメインストリームはそんな陳腐なものではなかった。良い意味で裏切られたことがうれしい。

 ところで,僕は新海誠監督の作品が好きで,たぶん全ての作品を見ている。どの作品も恋愛感情の裏に潜む切なさや哀しみが表現されていて,正直なところ諸手を挙げてハッピーエンドとは言い難いものばかりであった。だから「君の名は」のストーリーが終盤に差し掛かってからは,祈るような気持ちで展開を見守っていた。僕はメインキャラクターの二人に感情移入しまくっていたので,
「どうかこの二人に幸せな結末が用意されていますように!」
と願わずにはいられなかったのだ。

 「新海監督!今回ばかりはお願いします!」

 ネタバレになるので詳細は書かない。

インストアライブを行うアイドルを見て...2017年01月04日 00:14

 夕方,目的地へショートカットするために,駅前ビルの1Fを通り抜けていたら,目の前の雑踏をぬって賑やかな音楽と活気のある声援が飛んできた。気になって足を運ぶと,アイドルグループがインストアライブを行っていた。ステージ前には応援男子が壁を作り,リズムに乗った独特の身振りを交えながら,威勢のいい合いの手を送っている。

 その肩口から首を伸ばしてのぞいてみると,華やかなジャケットに白のショートパンツの女の子が二人,軽快な歌とダンスを披露していた。声援に応えて観客へ向ける笑顔がみずみずしい。

 目の前にアイドルがいることに新鮮さを感じて,ファンの皆さんの後ろからしばしライブ鑑賞。時間にして2〜3分ほどだったろうか。額に汗を滲ませてパフォーマンスを繰り広げるアイドルと,熱狂するファンの関係性に興味を引かれながらも,僕は本来の予定を達成するためにその場を後にした。

 1時間後,用事を済ませた僕が同じ場所を通りかかると,アイドルたちは,まだステージに残っていた。ただし,先ほど踊っていた2人に,レースのひらひらしたスカートをまとった子を加えて,人数が3人になっている。イベントが続いていたことに興味を持って,僕は再び立ち寄った。どうやら,ファンとの交流イベントがあったようで,それぞれのアイドルが,CDにサインをしたり,写真を撮影したり,会話を交わしたりしていた。そして,そろそろお開きというところらしい。

 しばらくその様子を眺めていると,頑張っているアイドルを応援するファンの心理が,少し分かるような気がした。ライブ直後にも関わらず,笑顔でサービスを続ける彼女たちは,希望・夢・憧れ・元気といったプラスの感情を誘引する力を確かに目の前のファンに与えていた。少し照れたように交流を続ける男子たちの表情がそれを物語っている。そこには,ライブの成功を身内で称え合っているような親密さと一体感が感じられた。そして,アイドルの仕事も素敵なものだなあという思いがほんのりと湧き上がってきた。

 アイドルたちは,見た目からすると20そこそこだろう。こんな若い子たちが頑張っている姿を見たら,正月明けでボケボケの僕の気持ちにも張りが生まれてきた。家路をたどる車の中で「今,目の前にあることに全力を出す!」と,新年の抱負らしいことを考えてしまった。

P.S.
 家に戻り,このアイドルは何者だったのだろうと思って調べると,「chairmans(チャーマンズ)」というアイドルユニットと「Carya(カーヤ)」というシンガーソングライターだった。

アイドル

 これらの写真は,彼女たちの公式Webページから拾ってきました。

キャラクター文庫とライトノベルと文芸の話2016年12月29日 21:50

 本屋で僕が一番足を運ぶ場所は,小説のコーナーだ。そこでは,買い手の検索性を高めるために,歴史,ミステリー,ホラー,SF,児童小説など,細かくジャン分けをして本が並べられている。

 一方,ジャンルとは別に「映像化された作品」や「涙が止まらない」のように,ある条件のもとに本をまとめることもある。買い手の求めに応じたり,買い手の心に希求したりするためには,こうした様々なまとめ方も必要だろう。

 そんな中,最近見るようになったまとめ方に「キャラクター文庫」がある。僕は最近目にするようになったが,以前からあるのだろうか?

 キャラクター文庫を初めて目にしたときにまず頭に浮かんだことは,いわゆるライトノベルとの違いはなんだろうということだ。ライトノベルも,キャラクター性を強く前面に押し出した小説だ。しかし,本屋にはキャラクター文庫とは別にライトノベルコーナーも変わらず残っていたので,名前が置き換わっただけでないことは明らかだった。

 ライトノベルはいくつか読んだことがある。また,キャラクター文庫コーナーにも,既読の本がいくつか置いてあった。その読書体験を思い起こし,その比較から推察したことは,どちらもキャラクターが巻き起こしたり,巻き込まれたりするイベントを気軽に楽しむ「ライトな小説」であるが,キャラクター文庫はライトノベルと比べて文芸要素が強めということだ。

 ライトな小説を「ライトノベル」と「キャラクター文庫」そして,その他のものを「文芸」として,小説をざっくりと3つにまとめた場合,僕の主観では,文芸>キャラクター文庫>ライトノベルという格付けになる。

 しかし,この分類の基準は曖昧だ。3種のうちどの棚に置くか明らかな本が多数ある一方で,頭を悩ませる本もある。

 手持ちの本を分類してみる。まずはライトノベル。

ライトノベル

 もう,表紙のアニメ調な絵柄からしてライトノベルらしさをアピールしている。また,この書籍名もそれらしい。

 「風見夜子〜」の著者半田畔さんは表現力のある作家で,僕はかなり評価している。状況や心理の描写が無駄なく適切で会話が軽妙。そのため,登場人物が生き生きとして躍動している。未来の死体が見える能力を持った夜子の空気を読まない言動と,彼女とともに対象者の死を回避するために奮闘する陽太の魅力が作品のエンジンだ。残念なのは,キャラクターの魅力の高さに比して,ストーリー展開が陳腐なことだ。半田さんはこの作品がデビュー作ということなので,次作に期待している。

 「櫻子さん〜」は珍奇な嗜好のキャラクターを作って他と差別化することを第一の目的に作られたような作品。年上女子と年下男子の関係性もそれぞれの性格も全く新鮮味に欠けるが,言い換えれば,安心の設定と言えるもかもしれない。シリーズ化とアニメ化もされているので,固定ファンは掴んでいるらしい。

 次はキャラクター文庫。ここにあげるのは実際にキャラクター文庫コーナーにも置いてあったものだ。
 
キャラクター文庫

 まずキャラクター文庫の表紙は,どちらかというとアニメ調というより漫画調と言ったほうがしっくりくるものが多い。見た目の差別化ははっきりと見て取れる。

 キャラクター文庫の内容は,ライトノベル同様に特異な世界観や特殊な能力を持つ登場人物が設定されることが多いが,ライトノベルに比べて登場人物が抱える悩みに向き合い,挫折,克服,成長する過程に目を向けようとしている印象がある。そこが先に述べたように文芸よりと感じる理由である。

 「天使〜」については以前取り上げたので割愛。「恋する寄生虫」は極度な潔癖症の高坂と,ある理由から不登校になっている佐薙(さなぎ)の物語。社会復帰に向けたリハビリを一緒に行う中で互いに恋に落ちるが,その惹かれ合う理由は果たして自分の意思なのか?...という珍しい視点から紡がれる純愛物語だ。真実に迫る過程のドキュメンタリー風な味付けが緊迫感を煽ってくる。著者の三秋縋さんは,僕が追いかけている作家の一人。薄いベールを被せたような影を感じさせる作品群がこの作家の魅力だ。

 で,この「恋する寄生虫」。本屋はキャラクター文庫扱いをしているが,内容的には文芸なのでは?という疑問が起こる。現在の日本を舞台にした物語で,登場人物は奇抜な能力を持っていない。抱えている悩みも現実の社会問題に通じるものだ。ストーリーの軸には,ミステリーのスパイスを散らした上で中心人物の葛藤と成長を据えている。細かなエピソードの積み重ねから心情の変化を描き出す手腕も厚みがある。あえてこの本にキャラクター文庫らしさを見出すとすれば,内容ではなく,女子高生が描かれた表紙くらいのものだろう。

 さらにキャラクター文庫の分類の曖昧さを示した作品が,前回取り上げたこの本「僕は君を殺せない」だ。

僕は君を殺せない

 先日近くのツタヤに行くと,なんとこの本がキャラクター文庫ランキングの売り上げ1位として展示されていたのだ。本作の内容は前回のブログを見てもらうことにして,この本に至っては,内容は言うに及ばず,表紙すらキャラクター文庫らしさが全くない。本作は文芸の位置付けで疑問の余地はないはずだ。

 これはどういうことだろう。「恋する寄生虫」と「僕は君を殺せない」から一つの仮説が生まれる。それは,本屋がキャラクター文庫と文芸を分ける一番大きな要素は,内容ではなく出版レーベルによるということだ,

 「恋する~」はメディアワークス文庫。「僕は~」は集英社オレンジ文庫。これらのレーベルから出版されたものは,内容に関わらずキャラクター文庫枠に入るのだと思われる。逆に,ライトノベル枠は富士見L文庫のようにそれ専用のレーベルが存在している。他の出版社についても,同様だろうと想像するが,面倒なので調べない。

 逆に言えば,「恋する寄生虫」と「僕は~」は,こうしたレーベルから出版するわけだからキャラクター文庫にあった内容の作品を求められたはずなのに,作家さんがその範疇を飛び出して,作品を納入してしまったということになるのだろうか?

長谷川夕著「僕は君を殺せない」の紹介文に煽られる2016年12月25日 00:33

 行きつけの本屋が「最近売れている話題の本」ということで,長谷川夕著「僕は君を殺せない」をプッシュしていた。手に取って,裏表紙の紹介文に目を通す。以下,全文引用。

文庫表紙

 夏,クラスメートの代わりにミステリーツアーに参加し,最悪の連続猟奇殺人を目の当たりにした「おれ」。最近,周囲で葬式が相次いでいる「僕」。
一見,接点のないように見える二人の少年の独白は,思いがけない点で結びつく.....!!すべての始まりは,廃遊園地にただよう,幼女の霊の噂.....? 誰も想像しない驚愕のラストへ。二度読み必至,新感覚ミステリー!!

問題:だれが「僕」で,だれが「君」でしょう?
----------------------------------------------------------------引用ここまで

 「驚愕のラスト」「二度読み必至」の言葉が好奇心を掻き立てる。紹介文を一読して,おもしろそうと思った。即決してレジに向かった。

 僕は読み始める前に,ページ数と章構成を確認することにしている。読み進むペース配分と読了までの時間をざっと把握するためだ。目次を見る。すると次のようになっていた。

 僕は君を殺せないーーーー5
 Aさんーーーーーーーー-175
 春の遺書ーーーーーーー213

 なるほど,3章仕立てらしい。章題からすると,1章がいわゆる「起・承」,2章が「転」,3章が「結」なのだろう。

 2章のAさんとは誰だろう。章題になっているところからしてかなりの重要人物だということが分かる。物語の舵を大きく切る役割を持っていそうだ。

 3章の「春の遺書」は思い当たる。本屋で立ち読みした時,物語は父の自殺の場面から始まっていた。そして遺書の存在をすでに提示してあった。出だしと終わりに配置されたこの遺書には,物語を貫く大きな謎が含まれていそうである。紹介文にある「驚愕のラスト」はこの遺書に関わることなのだろうか。読むのが楽しみになってきた。

 読み始めてすぐに感じたことは文章がうまい!ということ。短い文の積み重ねがリズムを生んで心地よい。そして,場の状況,人物の行動・心理が端的に分かりやすく描写されるので,頭の中にイメージがふっと湧き上がる。情景を思い描く苦労を強いられないために疲れない。

 また,キャラクターの描き方が生き生きしている。性格がはっきりと表れる台詞回しと演出。特に主要キャラクターである「僕」とレイの関係性を含めた人間描写は素晴らしい。

 さらに物語をどんどん先に進めるテンポも気持ちいい。些末な描写のために一箇所にとどまってグダグダと文章を重ねるようなことがない。「おれ」と「僕」が交互に独白しながら,少しずつ物語の骨格を浮かび上がらせる構成が,文体と相まって物語にリズムとスピード感を与えている。

 というわけで,1章は一気に読み終えた。うん。面白いミステリーだ。哀しく,やるせないような気持ちに包まれる1章だった。

 で2章の「Aさん」に入る。この章からは「わたし」の一人称視点になっていた。「わたし」とは誰だろう?1章に出てきた誰かか?それとも全く新しい人物が,1章の出来事について語り出すのか?頭の中に?を3つくらい浮かべながらとにかく読み進める。

 内容は,「わたし」の回想である。Aさんとは,その回想の中に出てくる全身から肉を削ぎ落としたように痩せたおばさんで,通りかかる人の誰にでも吠えかかる凶暴な犬と市営団地に住んでいた。「わたし」はこの犬とAさんとに関わって恐ろしく,不気味な体験をする。暗く沈んだ雰囲気に包まれたまま2章が終わる。

 さて,2章に1章の登場人物は一切出てこなかったが...3章で全てが繋がるのだろうか。ちょっと混乱したまま,3章「春の遺書」に進む。

 3章になると今度は「私」の視点になっていた。そして大橋康二郎なるこれまで一瞬足りとも登場していない人物が,あろうことかいきなり幽霊として出てきた。

 ここにきてやっと僕は気づいてしまった。「Aさん」「春の遺書」の2作は,全く別の作品だったのだ。(°▽°) なんということだろう。

 どうして200ページも読み進むまで,別作品であることに気づかなかったのか。それは次の3つの理由からだ。

 一つ目は,表紙裏の紹介文に「表題作他2編を収録」のような案内がなかったからだ。複数の作品を収録する場合,この部分に書くのが普通ではないだろうか。と思って本棚を確認してみると,梨木香歩著「西の魔女が死んだ」等数冊は明記してあった。一方,倉狩聡著「かにみそ」は明記されていなかった。書かれていることが多そうだが,必ずということでもないらしい。

魔女&かに

 二つ目は,本屋でチラ見した1ページ目の「遺書」と3章の「春の遺書」が同じものと信じてしまったからだ。この思わせぶりな配置はなんだろう。引っ掻けとしか思えない。

 三つ目は,「Aさん」「春の遺書」と「僕は君を殺せない」の表現方法に一体感があったからだ。どれも一人称視点であり,叙述トリックの雰囲気がプンプン漂っていた。(春の遺書は結局違ったが...)また,亡霊の影が散りばめられているところも似通っていた。

 今にして思うと,書名の「僕は〜」は,確かに目次の一篇目にそのまま書いてあるわけだから,多くの人はこれを見て,「あー3作品収録されているんだ」と思うだろう。

 しかし,先の3つの理由で固定観念に縛られていた僕は,この目次を見て見抜くことはできなかった。何しろ,一つの章に書名を冠することはそれほど珍しいことではない。例えば,七月隆文著「ぼくは明日,昨日のきみとデートする」は,プロローグとエピローグを別にして4章仕立てで3章目が書名を冠している。三秋縋著「恋する寄生虫」は,9章仕立てで9章目に書名を冠している。(まあ,書名を冠するにしても,大団円として終わりの章に置くのであって,いきなり1章には置かないと今なら思う...)

文庫表紙

 さらに罪深いのは,先に紹介した紹介文にある「驚愕のラスト」「二度読み必至」である。僕はこの表現にかなり高い期待のハードルを立ててしまったらしい。「僕は〜」を読み終えた時点ですでに面白かったのだが,後を引く終わり方だったために,この後にAさんと遺書によって驚愕の新事実と大どんでん返しが語られ,さらに楽しませてくれると勝手に思い込んでしまったのだ。

 これだけの期待を僕に与えたという点で,この紹介文を書いた編集の方はきっと優秀な方だと思う。しかし,そのせいで「僕は〜」が面白い作品だったにもかかわらず,最初の期待値が高すぎたあまり,相対的に読後の満足度が低くなった気がする。

評価:★★★☆☆