長谷川夕著「僕は君を殺せない」の紹介文に煽られる ― 2016年12月25日 00:33
行きつけの本屋が「最近売れている話題の本」ということで,長谷川夕著「僕は君を殺せない」をプッシュしていた。手に取って,裏表紙の紹介文に目を通す。以下,全文引用。

夏,クラスメートの代わりにミステリーツアーに参加し,最悪の連続猟奇殺人を目の当たりにした「おれ」。最近,周囲で葬式が相次いでいる「僕」。
一見,接点のないように見える二人の少年の独白は,思いがけない点で結びつく.....!!すべての始まりは,廃遊園地にただよう,幼女の霊の噂.....? 誰も想像しない驚愕のラストへ。二度読み必至,新感覚ミステリー!!
問題:だれが「僕」で,だれが「君」でしょう?
----------------------------------------------------------------引用ここまで
「驚愕のラスト」「二度読み必至」の言葉が好奇心を掻き立てる。紹介文を一読して,おもしろそうと思った。即決してレジに向かった。
僕は読み始める前に,ページ数と章構成を確認することにしている。読み進むペース配分と読了までの時間をざっと把握するためだ。目次を見る。すると次のようになっていた。
僕は君を殺せないーーーー5
Aさんーーーーーーーー-175
春の遺書ーーーーーーー213
なるほど,3章仕立てらしい。章題からすると,1章がいわゆる「起・承」,2章が「転」,3章が「結」なのだろう。
2章のAさんとは誰だろう。章題になっているところからしてかなりの重要人物だということが分かる。物語の舵を大きく切る役割を持っていそうだ。
3章の「春の遺書」は思い当たる。本屋で立ち読みした時,物語は父の自殺の場面から始まっていた。そして遺書の存在をすでに提示してあった。出だしと終わりに配置されたこの遺書には,物語を貫く大きな謎が含まれていそうである。紹介文にある「驚愕のラスト」はこの遺書に関わることなのだろうか。読むのが楽しみになってきた。
読み始めてすぐに感じたことは文章がうまい!ということ。短い文の積み重ねがリズムを生んで心地よい。そして,場の状況,人物の行動・心理が端的に分かりやすく描写されるので,頭の中にイメージがふっと湧き上がる。情景を思い描く苦労を強いられないために疲れない。
また,キャラクターの描き方が生き生きしている。性格がはっきりと表れる台詞回しと演出。特に主要キャラクターである「僕」とレイの関係性を含めた人間描写は素晴らしい。
さらに物語をどんどん先に進めるテンポも気持ちいい。些末な描写のために一箇所にとどまってグダグダと文章を重ねるようなことがない。「おれ」と「僕」が交互に独白しながら,少しずつ物語の骨格を浮かび上がらせる構成が,文体と相まって物語にリズムとスピード感を与えている。
というわけで,1章は一気に読み終えた。うん。面白いミステリーだ。哀しく,やるせないような気持ちに包まれる1章だった。
で2章の「Aさん」に入る。この章からは「わたし」の一人称視点になっていた。「わたし」とは誰だろう?1章に出てきた誰かか?それとも全く新しい人物が,1章の出来事について語り出すのか?頭の中に?を3つくらい浮かべながらとにかく読み進める。
内容は,「わたし」の回想である。Aさんとは,その回想の中に出てくる全身から肉を削ぎ落としたように痩せたおばさんで,通りかかる人の誰にでも吠えかかる凶暴な犬と市営団地に住んでいた。「わたし」はこの犬とAさんとに関わって恐ろしく,不気味な体験をする。暗く沈んだ雰囲気に包まれたまま2章が終わる。
さて,2章に1章の登場人物は一切出てこなかったが...3章で全てが繋がるのだろうか。ちょっと混乱したまま,3章「春の遺書」に進む。
3章になると今度は「私」の視点になっていた。そして大橋康二郎なるこれまで一瞬足りとも登場していない人物が,あろうことかいきなり幽霊として出てきた。
ここにきてやっと僕は気づいてしまった。「Aさん」「春の遺書」の2作は,全く別の作品だったのだ。(°▽°) なんということだろう。
どうして200ページも読み進むまで,別作品であることに気づかなかったのか。それは次の3つの理由からだ。
一つ目は,表紙裏の紹介文に「表題作他2編を収録」のような案内がなかったからだ。複数の作品を収録する場合,この部分に書くのが普通ではないだろうか。と思って本棚を確認してみると,梨木香歩著「西の魔女が死んだ」等数冊は明記してあった。一方,倉狩聡著「かにみそ」は明記されていなかった。書かれていることが多そうだが,必ずということでもないらしい。

二つ目は,本屋でチラ見した1ページ目の「遺書」と3章の「春の遺書」が同じものと信じてしまったからだ。この思わせぶりな配置はなんだろう。引っ掻けとしか思えない。
三つ目は,「Aさん」「春の遺書」と「僕は君を殺せない」の表現方法に一体感があったからだ。どれも一人称視点であり,叙述トリックの雰囲気がプンプン漂っていた。(春の遺書は結局違ったが...)また,亡霊の影が散りばめられているところも似通っていた。
今にして思うと,書名の「僕は〜」は,確かに目次の一篇目にそのまま書いてあるわけだから,多くの人はこれを見て,「あー3作品収録されているんだ」と思うだろう。
しかし,先の3つの理由で固定観念に縛られていた僕は,この目次を見て見抜くことはできなかった。何しろ,一つの章に書名を冠することはそれほど珍しいことではない。例えば,七月隆文著「ぼくは明日,昨日のきみとデートする」は,プロローグとエピローグを別にして4章仕立てで3章目が書名を冠している。三秋縋著「恋する寄生虫」は,9章仕立てで9章目に書名を冠している。(まあ,書名を冠するにしても,大団円として終わりの章に置くのであって,いきなり1章には置かないと今なら思う...)

さらに罪深いのは,先に紹介した紹介文にある「驚愕のラスト」「二度読み必至」である。僕はこの表現にかなり高い期待のハードルを立ててしまったらしい。「僕は〜」を読み終えた時点ですでに面白かったのだが,後を引く終わり方だったために,この後にAさんと遺書によって驚愕の新事実と大どんでん返しが語られ,さらに楽しませてくれると勝手に思い込んでしまったのだ。
これだけの期待を僕に与えたという点で,この紹介文を書いた編集の方はきっと優秀な方だと思う。しかし,そのせいで「僕は〜」が面白い作品だったにもかかわらず,最初の期待値が高すぎたあまり,相対的に読後の満足度が低くなった気がする。
評価:★★★☆☆
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