神社に願う ― 2015年12月12日 22:50
朝,目覚めると青空が広がる良い天気だった。「こんな天気の良い日はドライブをしなければならない。さて,どこに出かけよう」と考えて,本棚に無造作に差し込まれていた情報誌をパラパラとめくった。すると,そこに塩竈(しおがま)神社の写真があった。日の高いうちに帰りたいので,近くて良い。また,近場の名所にもかかわらず実は行ったことがない。決定!
地図で道路を確認していざ出発。仙台を抜け出るまでに一度渋滞に捕まったが,それでも1時間ほどで到着した。
駐車場に車を止め,裏参道を通って塩竈神社へ歩く。50mほど坂を登っていくと,志波彦神社なる建物に着いた。存在感のある立派な社殿だ。1時間もかけて間違った神社に来てしまったのか?と,一瞬戸惑ったが,そばにあった案内図を見るとそうではない。塩竈神社の敷地内にもう一つの神社が併設してあるのだ。(正確には同じ敷地かどうかは知らない。そばに由緒を示す説明があったが読み飛ばした。かなり昔に建立された神社であり,昭和の初期にこの地へ移設されたことは理解した)
もののついでと,まずはこの神社へ参拝することにした。境内には数人の参拝客が歩いていた。混んではいない。社殿に向かうと,気になる人が目に付いた。社殿の右の端っこで男が手を合わせていた。歳は20代半ばに見えたが,老けた高校生の可能性もある。背には斜めに平たいバックをかけていた。そこは神木の陰にあたり,その男の目の前には賽銭箱などはない。言ってみれば,建物の周りをぐるりと巡る欄干に手を合わせている形だ。
ユニークな人もいるものだと思いながら,自分は参拝に立った。参拝するとき,正式な作法でいつも迷う。しかし,この神社は親切だ。賽銭箱の横,社殿に登る階段に正しい参拝の仕方が書いてあった。「なるほど,2回礼をして,2回手を打って,1回礼をすると」
賽銭箱に100円を投げ入れ,説明書の通りに自信を持って祈った。おかげで,目をつぶりながら,まじめに自分と対話することができた。これからの自分の生き方について,頭の中でいろいろ話をしてみた。なんだか,落ち着く。瞑想ってこんな感じなのかなと思った。今回の祈りの時間は,これまでの人生で最長であったと思う。実際は30秒ほどだと思うが,祈りの時間の30秒は結構長いと思う。自分はそう思った。
良い参拝ができたことに満足して踵を返した時,何気なく社殿の右手を見てぎょっとした。例の男がまだ手を合わせて祈っていた。思わず二度見をしてしまった。よほど大切なことをお願いしているのだろう。または,自分と向き合う大事な時間を持っているのかもしれない。男の背中をじっと見ていたら,切ないような愛おしいような不思議な感情が生まれてきた。心の中では,「この男の願いを叶えてあげてください」と考えていた。
こんなことを思うのは初めてだ。しかし今思えば,この男に自分を重ねていたのかもしれない。自分の行動は自分が決めなければならないが,それでも何かに願って背中を押して欲しいと思うことはある。また,強く理想を描いてその道筋を照らしたいと思うこともある。
さて,本命の塩竈神社に行こうと考え,志波彦神社の境内を後にするとき,もう一度男のいた場所を振り返った。いた。なんだか嬉しくなった。
P.S.
…この文章を書き始めたときは,塩竈神社の階段の話を書こうとしていたのに,全く違う話になってしまった。仕方がない。写真だけ貼っておこう。

■塩竈神社表参道,心臓破りの階段。228段あった。下手をするとこの階段を上って本当に神様のもとに行けそう。